鹿児島県に行ってきました(その2)

鹿児島県に行ったら必ず行きたい場所がありました。【知覧特攻平和会館】です。ここはずっと行きたかった場所でした。私の住んでいる朝倉市のお隣の筑前町に大刀洗平和記念館があります。ここは大戦中大刀洗飛行場だったところです。知覧もそうですが大刀洗からも特別攻撃隊として20歳前後の若者が飛び立ち散華した歴史があります。歴史の事実として、またこれが礎となり今の平和な日本があることを改めて認識させられました。
出撃前の心境、当時の生活環境、遺書など実物をこの目で見たかったのです。
(←こちらは大刀洗平和記念館)


(↑こちらが知覧特攻平和会館です)
【知覧】は
昭和16年大刀洗陸軍飛行学校知覧分教所が開校。少年飛行兵、学徒出陣の特別操縦見習士官らが操縦訓練を重ねていましたが戦況が悪化してくると昭和20年本土最南端の陸軍特攻基地となり20歳前後の若者が満州、日本内地から集結し家族や国の将来を思いながら沖縄へ出撃した地になります。

沖縄戦の特攻で戦死された隊員の当時の遺書【隊員の遺書、絶筆のコーナーで拝見できます】で思いがわかります。
[生まれたばかりのわが子宛に書かれたもの][兄弟、姉妹宛に書かれたもの][父母宛に書かれたもの]とさまざまです。共通しているものは特攻で戦死することが国の為になる、名誉にもなるということと、残された家族への想いが綴られていました。「さみしい」とか「悲しい」という文言は全く書いてありませんが行間にはもう二度と会えない父母兄弟姉妹へ、愛する者への悲しみが伝わってきます。「明日は死ぬ」とわかっていながら笑顔の裏は極限状態だったはずです。遺書を拝見したとき隊員の方々の気持ちを想うと熱いものが込み上げてきました。特攻で散華した隊員たちは自分たちが死ぬことで日本は戦争に勝つと信じ、日本は繁栄すると信じ散っていったことと思います。
私はこの方々の想いに報いているのだろうか、と考えさせられました。

特攻で使用された戦闘機も展示してあります。
・一式戦闘機【隼】(原寸大模型)
・四式戦闘機【疾風】
・零式艦上戦闘機五十二型丙
【隼】は映画の撮影のために作製された原寸大模型ですが良く出来ています。【疾風】は本物で実際に空を飛べるまでに復元されたものを展示してあります。零戦は墜落した機体を海から引き上げた本物ですが墜落した時に機体が折れています。前半分が引き揚げられて展示されています。
これを見るといかに日本の航空機製造技術の高さがわかります。より軽く、パワーを稼ぎ、旋回性能などの機動力の高さがよく考えてられて製造されているというのがよくわかる展示でした。
他の航空機については模型で展示しており詳しい説明が書いてあります。日本戦闘機唯一の液冷エンジン搭載の三式戦闘機【飛燕】も模型で説明してありました。

展示室を出て奥に進んでいくと[特攻平和観音堂]がありました。
お堂には[特攻平和観音像]がありこの観音様の像内には特攻勇士の芳名を謹記した長さ9m54cmの巻物が納められています。平和の為に散っていった特攻の方々へ両手をあわせました。

 

今年の日本は北からのミサイル、及び交戦の可能性、憲法改正、沖縄の基地問題も議論されると思います。平和の礎を築くために散っていった隊員の皆さまはいまの日本を天国からどうみているのでしょうか?

ここはもういちど行きたい場所になりました。行くことで隊員の方々が本当に伝えたかったものがわかるような気がします。

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