コスモスの絨毯、以前そこには飛行場がありました。

朝倉市のお隣に朝倉郡筑前町があります。

現在キリンビール福岡工場が稼動し、また目の前には広大なコスモス畑が広がっています。
地元はみんな知っていますが以前ここに東洋一といわれた飛行場がありました。第二次世界大戦中はここから特攻兵として飛び立ち散って行った多くの若者がいました。

そう『大刀洗飛行場』です。

そこに永久の平和を願い建設されたのが『大刀洗平和記念館』です。開館10周年、また大刀洗飛行場開場100周年にあたります。
(※キリンビール工場の所在地は朝倉市、大刀洗平和記念館は筑前町です)

大刀洗平和記念館記念企画展

  

これを記念した記念企画展を開催しています。
開催期間:2019/10/1から2020/1/31
時間:9:00~17:00
休館日:年末のみ(12/26~12/31)

この大刀洗平和記念館は漫画家松本零士氏と深い関係があります。

大刀洗飛行場は陸軍の飛行場として大正8年(1919年)に開場し、開場と同時に航空第四大隊(のちの飛行第四戦隊)が編成され改編を繰り返しながら昭和15年(1940年)までこの地で活躍しました。その後飛行第四戦隊は小月基地(山口県下関市)に移駐。西日本防空の役割を担いながら終戦を迎えます。
「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」等数多くの漫画を執筆している漫画家松本零士氏は昭和13年(1938年)久留米市で生まれます。父の強氏は戦前飛行第四連隊第一中隊長として陸軍九七式戦闘機を操縦。大刀洗の空で活躍していました。(大刀洗平和記念館より引用)

こういうご縁もあり平和記念館には九七式戦闘機の車輪が零士氏より寄贈されています。また世界で唯一の九七式戦闘機の現存機が展示してあります。

また14日にはトークショー&サイン会が開催されました。

(西日本新聞10/16朝刊より)

零士氏はこう言っています。
「人は死ぬために生まれて来るのではない。生きるために生まれてくるのだ」
と。

戦時下と終戦の厳しい時代を経験した零士氏の言葉です。非常に重みを感じます。

私の母も零士氏と同世代(母は昭和12年生まれ)です。戦時中の話はよく聞いています。現在では身内でも「戦時中の苦労した話」や「戦争がいかにおろかなもの」、「戦争は自分から大切なものをすべて奪い去る」ことなど話を聞く機会すら無くなっています。

あらためて戦争と平和について考えるきっかけになれば幸いです。


上部のイラストは零士氏が大刀洗飛行場開場100周年、太刀洗平和記念館開館10周年を記念して大刀洗飛行場をテーマに描いた作品です。
タイトル『我が心のふるさと 大刀洗』

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