直近で泣いたのはいつ?

先日毎週見ていたドラマが終わってしまいました。私はめったに民放でも国営放送でもドラマは見ないのですが、NHKのドラマ10「ツバキ文具店~鎌倉代書屋物語~」が最終回でした。主演の多部未華子さんが亡き先代の意思を引き継いで代書屋という仕事を通して人間的に成長していく過程が毎回楽しみだったのです。昨日の最終回でふと父のことを思い出しました。
私は学生の時やんちゃでもなく、かといって勉強が出来る方でもない中途半端な立ち位置の学生だったのですが、私が大学生のころ父は病気(腎不全)になり週3回の透析に通っていました。自分では車の運転が出来ない為、母と私で病院まで送迎していました。私が21歳のとき父は天国に旅立ちました。ドラマで鳩子とカシ子(倍賞美津子さん)の関係のように晩年の父と私はあまり仲良くはなかったです。色んなシーンが色々重なって・・・。

父も文章を書くのが好きで何かある度に一言だけ書いた手紙をくれてました。今でもそれはとってあります。ドラマを見ながらその時のことを思い出してしまい熱いものが頬をつたってきました。もう少し話しておけば良かったなど今でも悔やむ時があります。

ドラマで終盤、鳩子は亡き先代へお礼の手紙を書きます。ひとそれぞれの感謝の気持ちの伝え方がありますよね。

まもなく父の日です。照れながら素直な感謝の気持ちをお父さんに伝えてみたらいかがですか?

改めて私も仏壇に手を合わせて「ありがとう」と伝えてみます。



今日3日は雲仙普賢岳祈りの日です。長崎県島原市が1998(平成10)年から実施。1991(平成3)年、雲仙普賢岳で大火砕流が発生しました。避難勧告地区内で警戒中の消防団員、警察官、取材中の報道関係者等が巻き込まれ、死者40人、行方不明3人という犠牲者を出しました(今日は何の日より)。
あれからもう26年も経ったのですね。このときはじめて火砕流という言葉を知りました。先程ニュースで追悼行事を見ました。雲仙は小学生のときの修学旅行のコースで、こんなことが起きるとは夢にも思わなかったです。

九州には他にも(活)火山が存在します。阿蘇山、桜島、九重山などです。噴火すると灰が一面を覆います。覆うだけならまだしも火山灰にガラス質のものが入っているので固まる前に取り除かなければなりません。農作物にも被害を受けますし、自動車の場合は後の洗車にかなりの手間と労力がかかります。そんななかでも、住民の方々は上手に共存していらっしゃいます。

普賢岳には当時の火砕流を再現している雲仙岳災害記念館があります。
1990年11月に始まった平成噴火・1996年の噴火終息宣言まで、この地で何が起き、そして、何が残ったのか。自然の脅威と、災害の教訓を、風化させることなく正確に後世へ残します。大迫力のドーム型スクリーンで火砕流・土石流を擬似体験できる「平成大噴火シアター」をはじめ、火山や防災について11のゾーンに分けて展示をしています。見て触れてリアルに体感しながら、わかりやすく学習できる日本で唯一の「火山体験ミュージアム」です】(HPより抜粋)

一度は来館するべき場所のひとつです。

火砕流で犠牲になられたすべての皆様へご冥福をお祈り申し上げます。

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